|
木の中の魔法使い/ロイド・アリグザンダー/評論社/
十八世紀後半のイギリスで、蒸気機関と石炭という、新しい動力と新しいエネルギーの応用により、工場制機械工業が生まれた。生産効率が一挙に高まり、蒸気機関は汽船や機関車にも応用されて輸送能力も飛躍的に増大した。いわゆる「産業革命」である。
「産業革命」の進展は、資本主義体制の確立を直接的に促すものであった。それまでの道具を使用する小規模な手工業に替わり、機械を使用する工場制機械工業が成立・発展したことで、安価で良質な商品が大量に生産されるようになった。従来の手工業や家内工業は急速に没落し、その結果、大工場を経営する産業資本家が労働者を雇って利潤を得ることを目的として商品を生産する経済の仕組みが確立した。
『木の中の魔法使い』は、この「産業革命」の時代の話である。
主人公は、マロリーという少女。彼女は熱病で両親を失ってから、気弱な食堂の主人パースルー氏と強欲なその妻のもとで、住み込みの女中として働いている。
物語の冒頭で主人公の少女マロリーは、切り倒されたカシの木の中に閉じ込められた魔法使い、アルカビンを見つけて助け出す。アルカビンは、長い年月、木の中に閉じ込められていたために、魔法をうまく使えなくなってしまっていた。このまま魔法が戻らないと、死んでしまうというアルカビンをなんとかマロリーは助けようとするのだが・・・。
この物語の面白さのひとつに、舞台を先に述べた「産業革命」の時代にとっていることがあげられる。「魔法使い」という古代や中世の存在が、「産業革命」という近代に出現したときに生じる可笑しさは、この物語の魅力のひとつである。
社会が大きく変化していくその変り際には、自分自身の利益追求のためだけに、その変化を悪用しようとする人間が、うじゃうじゃと出てくるものである。―往々にして、人間の社会というものは、悲しいかな、そういう私利私欲自体が「進歩」と不可分なものなのだ。
新しい地主であるスクラップナーもそうした人間の一人だ。彼は、森の木を切り倒し、小作人たちを追い出した後に、炭鉱を切り開こうと計画し、町の住人たちを、借金の形に土地や建物を取り上げて、自分の使用人にしようと企んでいる。町の人たちも目の前の小利に目が眩み、スクラップナーの思う壺にはまっていく。
スクラップナーの策謀に対抗する存在は、誠実な公証人ラワンしかいない。ラワンが象徴しているのは、法律そのものである。だが、その法律も弱い普通の人々の味方というわけではなく、その枠組みの中でしか力が発揮できない存在であるラワンもまた、スクラップナーの欲望の前ではほとんど無力に等しい。
あろうことか魔法の力を失ったアルカビンは、スクラップナーによって、無実の殺人の罪を着せられしまう。
このスクラップナーという男、最初は単なる強欲な地主ぐらいに思っていたのだが、実にひどい悪党である。実は、スクラップナーは、以前仕えていた地主ソレルを密かに殺し、その財産を自分の物にしていたのであるが、目の前に現れた余所者であるアルカビンに、これ幸いと、その罪を着せてしまい、殺人犯に仕立て上げようとするのである。仲間割れというか、真相に気付いて主人を強請り始めた手下のボルトまでも殺して口を封じ、その秘密を知ったマロリーもスクラップナーによって殺されそうになる。
作者の語り口は、中世のメルヒェンや昔話のような軽い語り口なので、重苦しい話では全然無い。その逆に、あまりの面白さに、あれよあれよという間に読んでしまえると思う。
アルカビンの魔法の力が戻って、めでたしめでたしのハッピーエンドに終わるのだが、最後までストーリーの作り方が並大抵ではなく面白い。作者はぐいぐい読者を物語に中に引き込んでいくことのできる、たぐいまれなる力を持った作家といえよう。
作者のロイド・アリグザンダーは、私利私欲のためには殺人さえも平気で犯すスクラップナーや、その手下で、自身の欲望のために最期はスクラップナーに殺されてしまうボルト、強欲なパースルー夫人といった悪役たちとは一線を隔して、ともすれば時代に置いて行かれがちな、働く普通の人々たちの方に明確に立場を置いている。
社会の「進歩」は、決してすべての人の幸せに繋がるわけではない。世の中の変化についていけずに、没落していく存在が必ずある。
魔法の力を取り戻したアルカビンは言う。「・・・物事がひとたびはじまってしまうと、どんなにのぞもうとも、必ずしもくいとめることはできないものだ。時代は変わる。後戻りはできぬ。・・・」
|