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ホビットの冒険/J・R・R・トールキン/岩波書店
作者のジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンは「指輪物語」の作者として、ファンタジイ文学ファンなら知らないものはいない著名な作家である。
本作(原題“The Hobbit”)は、そもそもトールキンが子供たちに語った寝物語から生まれたと言う(ファンタジイ児童文学ではこうした由来の作品は多い)。
物語の設定は、指輪の旅より前の話になっているが、児童向けの物語として書かれたことから、当然のことながら、「指輪」より格段に読みやすく、楽しげな描写・シーンが多い。まず「指輪」を読む前に「ホビットの冒険」を読んでおくのが推奨される順序だと思う。
主人公は「指輪物語」にも出てくる、ビルボ・バギンズである。ビルボはフロドの叔父であり、「指輪」の冒頭では111歳でホビットとしてもかなりの年寄りであったが、本作ではそのビルボが50歳くらいである。つまり「指輪物語」でのフロドの冒険から遡ること、およそ50年の頃のお話というわけだ。
物語は、朝ご飯をすませた後、のどかで平和なホビット庄の自分の家の前で、暢気にパイプ草をふかしているビルボのところへ、魔法使いガンダルフがやって来るところから始まる。ガンダルフはビルボを冒険の旅に誘うが、ビルボの方ははめんくらって「きょうはおことわりです。・・・あしたいらっしゃってください。・・・」とその申し出を断る。もちろん、次の日に招待したというわけではなく、断りの方便として言ったまでのことである。
あくる日になると、トーリンたち13人のドワーフやガンダルフが押しかけてきて、結局ビルボは彼らと一緒に「忍びの者」として旅に出ることになるのである。このあたりの描き方がとてもうまい。本来、ホビットは冒険とは無縁で穏やかな暮らしを何よりも愛する種族である。そういうホビット族でありながら、母方であるトック家の血筋(ホビットなのに冒険好き)をひいたビルボが冒険の旅に出るまでのことが、とても愉快に表現されていると思う。
いざ旅に出ると、トロルに遭遇したり、ゴブリン(オーク)に捕まったり、ゴクリ(映画“ロード・オブ・ザ・リング”では「ゴラム」)に出会って指輪を手に入れたり、大鷲に運ばれたりと、息もつかせず次から次へと、冒険が繰り広げられる。尚、この指輪が「指輪物語」でフロドが捨てに行く「一つの指輪」である。また同じく「指輪」で、ビルボがフロドに与え、ビルボの命を救ったミスリルの鎖帷子やエルフの短剣つらぬき丸(スティング)は、この冒険の中でビルボが手に入れたものである。ミスリルの鎖帷子はトーリンからもらったものであり、つらぬき丸はトロルから入手したものだ。
クライマックスは「指輪物語」のなかでガンダルフとの会話にも出てくる「五軍の戦(いくさ)」。五軍とは、一方はゴブリン軍と荒々しいオオカミ軍、もう一方はエルフ軍と人間の軍とドワーフ軍のことである。一進一退の戦いであったが、ゴブリン軍とオオカミ軍は邪悪な上にも強力で、徐々にエルフと人間とドワーフの連合軍は圧倒されるようになる。そして、まさに滅び去ろうとしたとき、ワシ族やビヨルン(クマの人)の援軍によって、エルフ軍と人間の軍とドワーフ軍は辛勝を得るのである。このクライマックスシーンは、何度読んでも涙なくしては読めない。
ビルボは思う。「ゴブリンどもが表門をせめおとすのも、もう間があるまい。そうなれば、わたしたちはみな、切り殺されるか、追いつめられてつかまるかだ。人の命が失われてから、いくらなげいてもどうなるものか。・・・ああ、やりきれない! わたしは今まで、かずかずのいくさのほめ歌をきかされてきた。そしていつも、ほろびる物に栄光があると思ってきた。だが戦とは、ひさんなばかりでなく、まことにやりきれないものだ。この戦に加わらなかったらなあ!」
翻訳出版されたものには、大きく2種類ある。
ひとつが岩波書店から出された「ホビットの冒険」で、もうひとつは原書房から出された「ホビット ゆきてかえりし物語」である。
岩波版には単行本(改版)と岩波少年文庫、岩波世界児童文学集6に収められたもの、および物語コレクションがあり、これらは同一の内容である。さらにトールキン自身の手になる印象的な装画・カラー口絵・挿絵を生かしたエディションである「オリジナル版 ホビットの冒険」も出されている。この「オリジナル版」は横書きであるのも大きな特徴である。岩波版は瀬田貞二さんの訳になる。
原書房版は、山本史郎さんの訳で、ダグラス・A・アンダーソンというアメリカのトールキン研究者の注釈付きである。山本史郎氏の大胆な翻訳については、読者の一部から大きな違和感と疑問を持たれているようだ。どうあれ、こちらも資料的な価値は高く、指輪ファン、ファンタジイ文学愛好家は必ず収蔵しておく必要はある。また原書房からはたくさんのイラストを載せた「絵物語 ホビット」も出ている。但し、内容としては、絵物語と言うより、漫画という方が正しい表現だと思う。
ここでの、引用文、用語はすべて、瀬田貞二訳の岩波版に依った。 |