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銀のほのおの国 銀のほのおの国/神沢利子/福音館書店

 日本には、本格的なファンタジイ文学は稀有である。それは一部の貴重な例外を残しながら、事実と言わざるを得ない。
 確かに、妖精文学や神話、また中世の文学の伝統から直接に間接に豊穣な果実をを受けとることで成立した欧米のファンタジイと、日本のそれとを比較するのは、いかにも分が悪いし、何はともあれ、金髪碧眼の主人公たちがヨーロッパ中世に擬似した異世界を舞台に、何の必然性も無く、冒険の旅をしなければいけないという固定観念に縛られている限り、日本のファンタジイ文学は未熟なままなのかもしれない。寂しいことである。

 「銀のほのおの国」は、日本のファンタジイ文学として、珍しく、本格的で骨太な作品である。その意味で、まことに貴重な例外と言えよう。
 主人公は、たかしとゆうこ、小学生の兄と妹。
 家の部屋の壁に飾られている剥製のトナカイの首に、たかしがふざけて「・・・なんじののろいはとかれたり。・・・」と思いつきの呪文を唱え、そのいかめしい枝角に投げ縄をかけたことから話が始まる。
 何とほんとうにそのトナカイは蘇り、厳寒の異世界へたかしとゆうこを引きずって行ってしまうのである。
 たかしはこらえきれずにロープを放してしまい、ふたりは見ず知らずの地に置き去りにされてしまう。
 「いったい、ここはどこなんだ。」と見覚えの無い風景に、あたりを見回すふたりは、人間の言葉を話すウサギ、「茶袋」に出会う。
 茶袋は語る。そのトナカイの名ははやてと言い、古き銀のほのおの国を、ふたたびうちたてるために、選ばれたトナカイなのだと。そもそもトナカイの心臓には、小さな骨のかけらがあり、トナカイの死後、その骨がツンドラの中で微塵になり、三億たび月の光を浴びたとき、死んだトナカイが蘇るのである。
 たかしが呪文を唱えたときが、ちょうどその時だったのだ。

 太古の昔、この地にはトナカイの王国があった。そこを治めていたトナカイ王の名を、銀のほのおと言った。銀のほのおは、偉大な王で、その治世には、土地は豊かで、すべての動物たちがとても幸せに暮らしていた。後世の者たちは、この頃のことを、憧れと懐かしさをこめて「銀の時代(とき)」と呼んだ。
 幾代かを経て、「荒野の王」と称する青イヌ(またの名をオオカミ)が現れる。青イヌは、自分たちの糧とするためだけでなく、面白半分に、また自分の力を誇示するために、他の動物たちの命を奪う。青犬はすべての動物をその牙にかけることで、恐怖の的となったが、彼らが最も好んだものはトナカイの肉であった。そのため、トナカイは次々に倒れて、北の地に追いやられていった。そんな中、トナカイの群れの首領として現れたのが、はやてである。はやてはトナカイ軍を率い、一歩も退かず、青イヌを前に善戦を重ねる。そんなはやてに手を焼いた青イヌは奸計を案じ、はやてを卑劣な罠にかけた。はやては罠に落ち、命を落とす。はやてを失ったトナカイ軍は敗れ、広大な銀のほのおの国はその一部を残して、すべて、青イヌも支配するところとなってしまうのである。
 たかしとゆうこのふたりは、自分たちの世界へ帰る術を求め、蘇ったはやての後を追い、はるか北の果ての地をめざす。
 ふたりの旅は、それこそ命をかけた行程にならざるを得ない。青イヌが支配するこの極寒の異世界は、幼い兄弟にとって、あまりに辛く、厳しい場所だからだ。結果的に、ふたりは銀のほのおの国の再生に尽くすことになるのだが、その厳しい経験をとおしてこそ、ようやく、幼い兄妹は命の意味とその尊厳を知るのである。
 最後の戦いの後、茶袋がゆうこに語る言葉がとても印象的だ。
「ゆうこよ、青イヌが食う肉とおまえさまが食う肉と、どこがちがうか、わかるかの。そいつを家に帰ってからとっくり考えるのじゃな。だが……忘れるかも知れぬ。トナカイのことも青イヌのことも、この長い旅、はげしい戦いのことも、そうよ、おまえさまはまもなく忘れてしまうじゃろう。しかし、わしのこの問いは忘れられぬ。おまえさまが大きくなって、この意味を考えるようになるまでな……」

























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